法政大学出身、長崎で障がい者雇用に35年携わり続ける企業

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長崎で障がい者雇用に35年携わり続けております長崎基準寝具有限会社の代表者であります森田社長にお会いしてきました。

ご子息様であり、後継者として頑張っている専務は現在31歳。その専務が生まれる以前より、障がい者雇用を開始しており、専務様も障がい者が仕事場にいるのがあたりまえの環境で育ってきたので、社長の意思や自分がやるべきことは、理解されていて、特定非営利活動法人 きずなの障害者就労継続支援施設A型 きぼう理事長を兼務していらっしゃいます。障害者内訳は、身体障害者5名、知的障害者16名(合計21名)を雇用しております。事業内容は長崎・諫早医師会指定医療関連サービスマーク認定事業者で、リネンサプライ、クリーニングになります。

本社所在地:長崎県西彼杵郡長与町高田郷3802番地
http://www.nagasaki-kijun.jp/
TEL:095-883-2434
FAX:095-883-2400
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視察のきっかけは、「三障がいのうち身体と知的に関しては長年の経験のなかで理解できる部分も多いのですが精神に関してはまだまだ未熟で、今回相談支援事業所の立ち上げ等も検討しているさなかで精神の事業所を視察されたい」とのことで、当社の福祉施設関連会社「ふらっとカフェ」を見学に来られたことからでした。

長崎基準寝具様は、坂本先生研究室で発行している障がい者雇用企業で人を大切にしている企業を物語風にまとめました「幸せな職場のつくり方」の掲載企業で、研究室の同級生が視察に行っていたので、親しみもありました。森田社長自身も坂本教授の本「経営者の手帳」や「日本でいちばん大切にしたい会社シリーズ」はじめ、その他本あわせると10冊以上書籍棚にあり、坂本教授の考えに共感しつつ、地域で必要な会社となるため、、また、良い会社づくりに邁進しつつ、大変な努力家であり、行動力も迅速かつ丁寧に行っていらっしゃいます。

インタビューさせていただいた森田社長は、法政大学の出身で、54年に現在の長崎基準寝具さんに入社されたのですが、大学卒業後、入社までのいきさつ(森田社長は次男ですが)を伺い、なるべくしてなられたんだな。と感じました。

主な打ち合わせ内容は、1、精神障害者2、既存の社員さんや既存で変化かがあったこと3、相談支援事業所の活用の仕方4、グループホーム建設です。

■まずは、精神障がい者のことから。
精神障がい者を2名雇用したのですが、現場が暑いことやパートの方とコミュニケーションがうまくとれず、やめてしまったことがあったそうです。そこで、どういう仕事をお願いしたら良いかが課題なことを打ち合わせしました。当方で行っていることは、簿記の資格取得でキャリア形成をし、自信をつけるとと同時に、実際の帳票を見て仕訳する訓練等の話や、見学等の受け入れを積極的にし、精神の方が見学者に説明をしている例、簿記がわかれば、事務作業では理解度合いが早い等お伝えさせていただきました。今後は、精神障がい者雇用もだれかがやらなかればならない。積極的に雇用の取り組みを行っていきたいとのことでした。

■既存社員に向けての取り組んでる内容
既存の社員さんのモチベーションアップ等方法論を伺いました。月に1度全員で、出かけることやレクリエーションを行い、チームワークを高めているそうです。みなそれを覚えていて楽しみにもされているようです。新社屋が昨年(平成26年)の6月よりできて、シャワールーム、食堂、休憩室等も整備し、また、工場内もペンキを塗りなおすと、社員が清掃や整理整頓をこまめに行うようになり、自主的により動くようになり、その効果も見えきているとのことです。

■相談支援事業所
その活用の仕方では開業予定地の目の前がバス停で、利便性もよい。ある福祉サービスと混合で行い、セルフ飲み物用意等も行うと地域住民にも認知や社会貢献的な価値と位置になるので、その方向で進めること等を確認しました。

■グループホーム建設
その最大の動機は、知的障がい者の方の高齢化で身寄りがないことです。知的障がい者の場合、高齢化で、ある一定の年数を経過すると老齢化が進むようで、勤務している方が高齢になった場合、身内もいないし、面倒を見てくれる方が不在ですと生活も崩れるし、通勤も大変で、もし、工場の傍にグループホームが建設されれば、会社側も近くで安心です。それもあってか傍の630坪の敷地を購入して、来年、建設予定されていらしゃるそうです。また、敷地購入隣の社宅の購入依頼があったり、隣接の別会社工場も撤退したり、働く場所と住み場所が近場でできるようになることがありがたいし、誰かがそれをしなければならない。という熱い使命感に基づき運営していらっしゃいます。

皆様も是非、長崎基準寝具様を見学に足を運んでいただき、森田社長の暖かいお人柄にふれ、惹かれること勉強になること間違いないです。

■以下、内容は、工場外から誰にでも目に入る場所に掲げてあります。清掃の重要性、皆で清掃を行う理由、チームワークの本質が見えないでしょうか?
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また、地域で継続して企業が運営していくためのヒントがたくさんあり、私も大変勉強させていただきました。ご縁に感謝です。

ps,坂本光司研究室著「幸せな職場の作り方」に掲載された内容をアップさせていただきます。
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九州は長崎にあるリネンサプライの会社、「長崎基準寝具」。そのスタートはどこの町にでもある一般のクリーニング屋さんでした。1955年に長崎市内で創業しそれから間もなく病院寝具業者して認可を受け、信用と実績を重ねながら少しずつ事業を拡大。創業から13年後の1968年、現在地に病院寝具、ホテル寝具のリネンサプライ業としてのクリーニング工場を建設するに至りました。
しかし同社もけっして順風満帆でここまで辿り着いた訳ではありません。リネンサプライという仕事は経済成長の影響もあって需要の高まりはありましたが手放しで業績が上がるような業種ではけっしてなかったのです。大手業者の既得権益が強く参入障壁の高い特異な業界でもありその競争は激烈で悪戦苦闘の毎日でした。そのような状況の中、1979年東京の大学を卒業し都内で就職していた現社長(当時23歳)が跡継ぎとして会社に加わったのです。
現在同社では70名の社員のうち24名もの障がい者を雇用しています。ではそもそも障がい者を雇用するきっかけはいったい何だったんでしょう?
 ちょうど現社長が入社した頃は約20名の社員が工場で働いておりその中に下肢障がいと聴覚障がいを持った社員が2名いたそうです。最初に障がい者を採用した先代(現会長)にその時のきっかけを伺ってみたところ、「特別なことではないでしょう」という意外な答えが返ってきました。理由としては“社員求む”のチラシを見て応募してきてくれた人に対し偏見も差別もなく雇用しただけで特別扱いすることもなく、仕事内容も待遇も他の社員と同じにしていたのです。
先代のこの姿勢は、入社したばかりの現社長にも大きな影響を与え翌1980年から障がい者の受け入れは加速していきました。暑く辛く大変な仕事にも関わらず本人たちの「働きたい!」という一心で愚直なまでに仕事をする姿に心を打たれたのです。こうして入社した障がい者の成長と共に当時はまだ20代だった現社長を中心にして会社も成長しはじめます。

当初は聴覚障がいや身体障がいの方の雇用から始まりましたがある事件をきっかけに知的な障がいを持つ方の雇用にも本格的に取り組むようになりました。その事件とは1982年に長崎を襲った“長崎大水害”。この水害の半年前に訓練生として知的障がいを持つ男の子が工場にやってきました。引っ込み思案でコミュニケーションもうまく取れず指示もうまく理解出来ませんでした。中学校の支援学級を出てからは実家の農業の手伝いをしていただけの子です。この大水害で会社は1mの浸水被害を受け汚泥は工場内にびっしり約30㎝堆積していました。当然汚泥はスコップで掘り起こし一輪車で外に捨てにいかなければなりません。9日間毎日この繰り返しでやっと業務再開に至りましたが、実はこの間一輪車の操作は彼ひとりがやってくれたのです。

実家での農作業の経験が役に立ったのでした。器用に一輪車を操作する姿を見て社員たちは毎日彼を褒めました。毎日褒められるので毎日笑顔で頑張ります。商品も機械も散乱し打ちひしがれていた工場が彼の笑顔で見事に生き返りました。内向的でおとなしかった彼はその後すべての洗濯機械を操作出来るまでに成長したのです。

この経験から「人は障がい者や健常者に関わらずほめられれば嬉しいし期待されれば応えようと頑張ってくれる」 ということに確信を得た現社長はその後身体の障がい者だけではなく知的障がい者の雇用にも積極的に取り組むようになりました。 障がい者の雇用を進める中で就業環境の整備は勿論大きなテーマのひとつです。
しかし、同社では障がい者が気持ちよく仕事が出来てその能力を発揮しやすい環境とは実は 「障がい者と健常者の区別を一切せず同じ仕事をしてもらうこと」だと説いてます。勿論職種によっても違いますが、必要以上に過保護にせず平等公平に接することが最も大切なのだと断言するのです。

しかしこれは健常者の社員の精神的な成長があったからこそでした。それは障がいの有り無しに関わらず賃金は同水準だったため一部の健常者は不満を抱えていました。解決策は大家族的経営でした。現社長は社員を集め健常者は障がい者を自分の子供だと思って接して欲しいと話しました。家族だと思えば腹を立てる事もなく子供だと思えば甲斐甲斐しく教えることも苦にならない。そうすることで、逆に必要以上に過保護にすることもなく、自然に言うべきことは言い、叱るときは叱り、ほめる時はほめる。平等公平な土壌が形成されていきました。その結果、障がい者も戦力として惜しみなく仕事をしてくれ健常者も負けずに頑張ることで全体のレベルは年々上がり筋肉質な組織へと成長を遂げていったのです。

この会社の方針はどんな障がいを持っていても最低賃金以上を支払い、社会保険厚生年金に加入させ応分な税負担は当たり前にさせる。と言うことですがそれは単純に障がい者の作業効率が上がり、合わせて健常者の生産性もアップした相乗効果によるものに他なりません。まさに障がい者も健常者も会社もみんな一緒に成長してきた証しなのです。

▼将来の夢・ビジョン
現社長が入社翌年に採用した第一号の聴覚障がい者の女性社員はその後 工場長と結婚しやがて出産 育児を経て再び会社に戻ってきてくれました。現在は父母子の3人が一緒に工場で働いています。大水害の時に活躍した彼もすっかり白髪頭になりましたがいまだに元気に働いています。社長は今後もこの大家族的経営を貫きつつ地域と障がい者に恩返しをしたいと考えています。具体的には身よりのない障がい者のためのグループホームやデイサービスの提供。そのために工場裏手の土地を購入し総面積1260坪を確保しました。2012年からは障害者のための就労継続支援A型施設としてNPO長崎自立支援センターを創設し後継者としての三代目(30歳)も社長同様、入社後一度も休むことなく毎朝5時半には出社し障がい者と共に汗を流す毎日です。
社長曰く「今までは共に働くでしたが、これからは共に生きるということを意識していきたい」 と想いを語ってくれました。仕事の出来るうちはしっかり仕事をしてもらい、定年した後もここで生活出来るような事業体として、総合的な障がい者福祉サービスを提供することがこれからの同社の夢なのです。

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