発達障がい者の方との関わり方を考えてみる 2/2

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今週は、先週に引き続き、発達障がいの診断を受け、就労移行に通所している20代男性の当事者やその仲間が投稿して頂いた記事を本人の許可を得て、掲載(2/2)させていただきます。

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発達障害について考えてみる 2回目

■言葉の受け取り方・伝え方

人とのやりとりの中で言葉の受け取り方や伝え方がずれてきたり、異なってしまうと本来伝えたことが伝わらなかったり、大したことでないことが、大きなこととしてとらえてしまったり、とんでもないことになったりとするケースも多くみられると思います。
まず、私の事例を話そうと思います。小学生の時に学校のホッチキスが不具合となり先生がクラス全体に訪ねていると私は『〇〇さんが凶暴にあつかった』と言ってしまいました。しかし〇〇さんはホッチキスの調子が悪く、強く扱っていたのでした。それを私は凶暴に扱ったと言ってしまいました。それを知った先生から『〇〇さんにしたことがどれだけのことなのか』と長時間クラス全員の前で説教されました。これは自分に責任があったと今でも思っています。〇〇さんを傷つけてやろうという気持ちは全くなく、とっさに出た発言が大変なことを招いてしまいました。しかしながらそのようなことを今でもしてしまうこともあるのが事実です。そのようなところから怒らせてしまうこともあります。
次は私がされたことをお話します。喧嘩別れした元友人から、「福井君は電柱に車をぶつけた」・「この間球場で傘を人に投げた」とそのようなことをしていないのにも関わらず、そのようなことを周囲に言う。ようするに事実に反したことを周りに言われる。また、実際には些細な出来事が告げ口により大きな事態になるということもありました。
なので、それですべてを決めつけるのではなく、人が言うことは事実とは異なっていることや何か理由があるのかもしれないと考えていく必要があるのだと思います。実際詳しくは話せませんが、そのようなことをしてしまったことがありました。SNSが普及しそのような問題もさらに深刻化していく可能性もあるかと思いますので、悪く言っていてもそれですべてを決めつけないように心掛ける気持ちが大切だと感じますが、私自身それが出来ないほうなので心配です。
そのようなところから教育の1つで「伝言ゲームの実験」を取り入れることが大切だと思うのです。幼い頃に皆さんもされてきたと思いますが、後ろの方に行くにつれて最初の言葉と変わってきて答えを言うたびに笑っていたことがあったと思います。ここに私は大切なものがあると思うのです。人から人に伝わるという事は異なっていく可能性が高くなるという事です。そのようなものを常に皆さんが把握していく必要があるのだと思います。
教育現場や社会でも「伝言ゲームの実験」を取り入れてみてはどうかなと常に思うのです。事実と異なっていってしまうところがあることを肌で感じて受け取る・伝えることの大切さを知ることが重要だと思います。
また皆さんの相手が伝えたことと自分が把握したことが違っていたこともあるのではないでしょうか。それによりこいつが悪いかのようになってしまうケースが多いですが実際はどちらが悪いわけではないような気がします。
相性があるのかもしれません。なぜなら私もそのようなことは苦手で仕事に影響させてしまったことも事実です。しかしながら私の友人に複雑なことを話すとき言いたいことが伝わっているのか確認をとるとき、全然わかるよ。ようはこういうことでしょと合っていたこともあるのです。確認をし合うことが大切だと思うのです。しかしながら何度も確認という事が相手にとって特に仕事の場では怒りになってしまうケースも多いと感じます。
私の書いたものにどのように感じたかは皆さんそれぞれ色々な意見があるかとは思いますが、言葉の受け取り方や・伝え方に意識していくことは重要なことだと感じます。

■人との関わりで感じたこと

 この頃、人との関わりで大きく感じたことがありました。
私は発達障害や様々な性格・特性からどうしても配慮やサポートしてしただけなくてはいけない感じで今後も過ごしていくことになると思います。しかし私以外にも障害をお持ちの方は沢山いらっしゃり、個々の障害・特性は皆さん違います。そのために相手に対して葛藤することや、何でこんなことで嫌がられるのか俺には理解できないといったこともよくあります。
 私が何らかの支援・配慮を要する以上は、他の方の障害・特性に合わせていかなくてはいけないのではないのかと思いました。私が大丈夫なものが相手はできない・困難を要する場合もあればその逆もあるのです。
 そのように自分の障害や特性の部分のみで全てを見ようとせず、相手の障害や特性もきちんと考えていき、その方に合わせれるところは合わせていかなくてはいけないとこの頃感じた日々です。
 しかしながらそれができているのかと言われたらあまりできていないように感じます。キャパを超えてまで接していけば精神崩壊します。しかし相手は悪気は全くないのに見捨てられた・・・ということもよく聞きますし、私も相手にしてしまったことも、したこともありました。人間ってそのあたりが物凄く不器用にできているなと私は感じるのです。
 記載してきたことが私ができるのかと言われたら、情けないほどできていないと思います。しかし意識はしていきたいなと思います。できるできないではなく意識していくだけでもいい人間関係は作れると感じた今日この頃です。
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270307

「人との関わりで感じたこと」の投稿を読ませて頂いた後の感想は、「周囲の理解」と「信頼関係構築と継続」がポイントかと思います。

鬱等の精神疾患同様、「心」はなかなか見えにくいこと、本人の言動が他人と異なることが「大枠での違い」が特徴であると考えれる方もまだまだ少ないようです。そこがトラブルにもなりやすいこともあるかと思います。

詳細は、本人と話して関わらせていただかないと解らない部分も多いです。しかし、フッとした瞬間(ランチを買いに行く時話しかけた時、思わず本音が出る等)の表情や言葉で、出来る限り本音を逃さずに認識、その後、迅速に支援員(職場で関わる方)に共有することが大事ではないかと思います。特性上、集団で関わらず、1人1人個別に関わっていくことで信頼関係を構築していくことになり、重要、普通に冗談を言ったり、話をすることで適度な関心を持つこと等、関係性構築は可能で、最高ではないかと思います。

「生きづらさ」の話もこの頃は、取り上げられてきます。「生きづらさ」とは、多種多様な当事者のようなので、どう、メッセージを送ったら良いか考えますが、当社(個人的にも)で気をつけていることは、
1、「人として」話す
2、「様子」をよく見る
3、「必要以上に」関わらないが見守る。

これが出来ているのは、信頼関係が出来ていることが前提です。

当事者の方は、多種多様であり、特性ではなく、性格や人格で見ようとする姿勢や態度で、当事者の方も話しかけてきたり、会話のキャッチボールができるのではないかと思います。

色眼鏡で見ていること、腫れものに触るような感覚等あると当事者本人も周囲を気にしだし、興奮してしまうこともあります。そうすると、関わりを持たないように段々となってしまう。。。

共有した時間過ごすなら、こういった関わり方もあると、「良い意味でのおっせっかい」を目指して行きたいものです。

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