支援者の理想の人物像とは?

270307

最近色々と思う事があって、小生の福祉仲間があるSNSにリンクしていた記事を引用させていただき、「企業側の観点」と「福祉の支援」を客観的に見ていきたいと思います。

http://fukushi-switch.jp/2015/03/04/experience/
の記事を読んだとき、私個人的には、「支援」という概念ではなく、「関わる」という横から目線的な取組や考え方が距離感が縮まり、かつ、信頼関係も構築できるような印象を持っています。
では、なぜ今、全日本女子サッカー監督の言葉「横から目線」を活用しようと思ったのか?

個人的には「支援」という言葉が障害者との関わりに「少しズレ」があるのではないかと感じています。それは、企業で雇用している立場と福祉事業所で支援している立場を経験させていただいたことが非常に人間の幅を持たせていただいたと同時に課題も見えて来ます。

以下、
http://fukushi-switch.jp/2015/03/04/experience/ より引用、■と点線内が企業側の観点から客観的に置き換えた内容で、福祉支援者にも必要な考え方ではないかと思います。

「支援の至らなさを認められる」福祉の現場では、職員の方が着実に成長する
投稿日:2015年3月4日 | カテゴリー:人材育成, 運営管理

ただ、やみくもに研修等をするのではなく、そもそもどんな力を高めてほしいか、どんな資質を身につけてほしいか、といったところが明確でないと、思っているような成果に結びつきません。

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■支援している事業所の立ち位置とサービス制度、支援する対象の障害者特性、支援中の障害者の能力形成、支援後の障害者にあっていてほしい姿、支援後の障害者の行先、行き先後の障害者の受け入れ先(企業、官庁、地方役所、B型事業所、A型事業所)が明確になっているのでしょうか?そこがある程度明確になっていないと研修をいくら受けても力が向上しないような気がします。研修も大事ですがそもそも論の「支援者の理想の資質」を身に着けるには、何が必要なのでしょうか?私は、「豊かな人間性と教育関連のプロとしての専門性、そして、精神力」です。
 *そう言っている小生が一番出来ていないと思いますが理想を掲げないと明確な課題や目標が得られないので、このような話題にしようと思いました。

人間性とは、これまで培われた性格のようなものです。考え方や表情など、その人からにじみ出てくるものでしょう。これは、今までの人生そのもので、その人がどんな人生を送ってきたか?が全てではないでしょうか。その中でも特に必要だと感じるのは責任感があること、豊かな人間性をもっていること、障害者とともに成長する気持ちをもっていることの三点です。「資質が身に付いた」といえるのは、経験を必要としますし、常に行い続けなければならない。終わりのない「学習と行動」です。それを行っているうちにいつの間にか付いているもののような気がします。「気がします。」という表現は、評価に関しては、周囲から認めてもらって成り立つことだからです。
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どういったことを特に重視するのか、各法人・事業所のスタンスが表れるところだと思いますが、
いろいろな法人の方とも話していて、多くの職場で共通する「あること」。
もしくは私自身の支援の経験を振り返ってみても、「これは大事だな」と思うことが一つ浮かんできました。

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■経営理念、行動指針、たとえば、「いい会社をつくりましょう」ではないでしょうか。
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支援の至らなさを認められることの大切さ
知識やスキル等が必要ないとはいいませんが、私は、支援の至らなさを認められる
ということは、支援者にとってとても重要な資質だと思っています。

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■「人」として、素直なこころで、謙虚な態度です。これができるのは、自分が一生懸命やってきて、自分が成長していくたびに、1ケ1ケ壁を越えていくのですが、越えていくたびに素晴らしい人に遭遇するものです。素晴らしい人に遭遇すれば、「あの人の好い所を頂こう」、「あの人のすごさを見習おう」とう気持ちに自然となるはずです。
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その時には、最善と判断して行った支援も
改めて振り返ってみるともっといい支援の形はあった、と気づける、認められる。
「至らなさ」を認められるということはこのようなことを指しています。

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■さらに補足させていただくと、向上心と超一流の実行力でないでしょか?それがあるからこそ、悩み、試行錯誤して、成長していくと感じるのです。
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ただ、この支援の至らなさを認めることって、簡単なことに思えますが、実はなかなかできることではないと思うんです。

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■確かにそのとおりですね。
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福祉の仕事は支援を必要とする人に寄り添う仕事なので、その人の人生に決して小さくない影響を与えることがあります。
一人ひとり異なる方に寄り添う仕事だからこそ悩みは尽きません。
ただ一方で、悩んで苦労した分だけ、支援をした人が変化成長する場面に立ち会えた時の喜びはまた格別のものです。

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■支援とは?とあえて定義づけする必要もないのでしょうけれども、人として、成長の喜びを共有できることがとても大事で、その喜びを繰り返し共有することで、「勝ちぐせ」といいますかいつの間にか自信がついているのです。障害者雇用は、それを実現できることがとてもお互い楽しいし充実してきて、その顔がとても自信に満ち溢れ、その表情もイキイキとしています。
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しかし、そうした責任の重い仕事だからゆえに、もし、「適切な支援が行えなかった」とふと思うようなときでも
・でもあの時はあの方法しかなかった
・本人がああいう状態だから仕方なかった
・中長期的に見ればあれできっとよかったと思えるようになる

というように、「あの支援でよかった」という理由付けを自分の中で、もしくは組織の中でしてしまうことってないでしょうか?

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■ 理由付けを自分の中である程度行わなければ、自分自身のバランスが取れなくなってしまいます。しかし、それを組織の中で行う、常に自分の都合の良い、理由付けを行ってはいけないと思うのです。
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「あの支援は適切でなかった、もっといい支援ができた」
と素直に認めてしまうと、その人の人生にマイナスの影響を与えてしまったことを認めることになる。
だから上記のような理由付けを無意識のうちにしてしまう、というようなことが責任の重い福祉の仕事では実は起こってはいないだろうか、なんて思うんです。
少なくとも私には思い当たる節があります。。

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■「その人の人生にマイナスの影響を与えてしまったことを認める」
認めてもいいのではないでしょうか?その誤ったミスを素直に詫び、次のリカバリーを必死にすれば、「雨降って地固まる」ではないですが、トラブルを恐れるのではなく、一生懸命に行うことで、結果、相手にとっても良い結果になると信じて行うのです。
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もちろん、だからといって適切な支援ができなかったたびに自分をひたすら責める、なんてことをしてしまうと、支援する側はとても持ちません。
ですが、決して自らの至らなさをむやみに責める、ということでなく

自分の知識・スキルの不足、
視野の狭さによる判断ミス、
組織の決定に対して自分の考えを伝えきれなかった 等々

適切な支援が行えなかった理由はいずれのものであっても、もし今あのときに戻れるなら、あのときの支援をまた選択するか?

と問いかけたときに答えが「No」なのであれば自らの支援を正当化しようとせず、至らなかった点を真摯に認める、
そしてそれをこれからの支援にどう生かしていくか考える。

これができる支援者の方って、着実に支援力を高めていけるのではないでしょうか。

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■補足させていただきますと、その真摯な態度が信頼を得て、関係性が良くなるのです。これはいつから?というわけではなく、そうなるまであきらめず出来るまで継続して行うことです。今まで、支援力が高まっていないのは、継続する力、あきらめない意志、前向き思考が少し足りないのが続いていて、5年経過してみたら、ものすごい差が出ていたということではないでしょうか?
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まずは上司、先輩が率先して認める
では、職員の方が支援の至らなさを認められるようになるためにはどうすればいいのでしょうか。
私は、その職員の方だけでなく、職場全体で支援の至らなさを認められるということが大切で、
そのためにはまず、上司、先輩が率先して認めることができるということが重要だと思います。

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■まさにそのとおりで、上司、先輩の姿を見て、後輩も伸びていくという流れが適切と考えます。その道のりは長く険しいときもあるけど・・・。
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こういったことを常に確認でき、仲間とともに歩んで行ければ良いですね。

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